水道事業の民営化といえばフランス。その国の首都であり、世界中で民営化を推し進める「水男爵(ウォーター・バロン)」と言われる多国籍水企業の本社が集まるパリで、1985年以来続く民間運営の水道事業が再公営化されたニュースは、「フレンチモデルの崩壊」として、衝撃をもって世界中を駆け巡りました。
2008年11月にパリ市議会は、水道事業を委託していたスエズ、ヴェオリアの2社に対して、契約更新を行わない決定を下しました。そして、これら民間事業者に替わって、パリ市が直接監督する公営水道事業体「Eau de Paris(パリの水)」を設立することを決めたのです。
1985年のシラク市政下に行われた水道事業民営化は、セーヌ川を境にスエズとヴェオリアの両社に委託契約され、その両社はGIEという料金徴収会社を合同で設立。これらの会社を監督する役目をもってSAGEPという会社まで設立されましたが、これもスエズとヴェオリアが両社とも株式保有するという、独立性や透明性に疑問があるものでした。また、市の直轄であった水質管理機関(CRECEP)は市の関与を離れ独立機関とされたことから、経営の正当性や透明性、さらには装置産業としての技術的な部分に至るまで、市のチェックの及ばぬものになりました。
これこそ「フレンチモデル」と言われる典型的な構造ですが、事業を委託した市は徐々に水道の管理から距離を作られ離されて、確実に水道システムの技術的な知識やノウハウを失わせられる水企業の手法です。さらに付帯する様々なサービスを子会社に下請けさせ、現実的に依存しなければならなくなった市を相手に、過剰な契約を迫り多大な利益を得るという構造です。
85年に委託した当時、22%であった漏水率は2003年時点で17%になり、85年から2009年までの間に水道料金は265%上昇しました。この間のインフレ率が70.5%だったことを背景に考えると、生命(いのち)の水を預かる企業としては許されない暴利企業であったことが伺えます。
この間のスエズとヴェオリア、両社の利益率は報告によれば6~7%ですが、実際は15%という指摘もあり、監督力や規制力を欠いた市は、もはや正確な利益率すら知ることは出来なくなっていました。
2001年に当選、就任したベルトラン・ドラノエ市長は、こうした実態を問題視して、水道事業の再公営化に向けて検討を始め、当時の市議会議員であったアン・レ・ストラット氏(現在のEau de Paris最高責任者)は、水道事業の財政的な不透明性を追求し、再公営化に向けてのプロセスを模索しました。
検討した結果、両社らとの契約破棄を念頭に再公営化に進めば、契約違反や不履行、さらには再交渉といった、法的・財政的・技術的・人事的な問題を抱えることになると断念しました。そして、結論としては、契約を途中で破棄するよりも、2009年末の契約終了を待って「再更新しない」という方法が最善だと判断をしたのです。
市長の強固な意志による「水道再公営化のプロセス」は、2007年の市議会以降、SAGEP社のスエズ・ヴェオリアの両社が保有する株式を売却させ市に戻し、GIE社を廃止させました。そしてセーヌ川で分断されていた水道サービスを統合し、市民の水を公共財として市が一貫して供給する「Eau de Paris(パリの水)」の設立提案に至ったのです。
その後、「水源から水利用者まで一貫して事業運営する」という理念の公共水道の発足(再公営化)は、2010年1月のEau de Paris操業まで様々な問題に直面しながらも、先んじて再公営化を果たしていたグルノーブル市の協力を得るなどの手法をもって完成したのです。
再公営化したパリ市の水道は、上述の通りEau de Parisが運営を始め、市民にとって多くのメリットを生み出し続けています。
事業開始した2010年の一年間で、民間運営だった前年より3,500万ユーロ(約45億円)のコスト削減に成功し、その結果パリ市民の水道料金も、前年比8%の値下げを達成したのです。
さらに、再公営化したメリットはそれだけにとどまらず、短期的な利益を追う企業では、その優先順位が一番後回しにされてきたような、水源汚染防止のキャンペーンや近隣農家への啓発活動、環境配慮への支援など、長期的な問題に水道行政として着手したのです。
分断されていた事業を統合し、これまでは株主配当や役員報酬に充てられていた収益のほとんどを、市民に再投資するという形でスタートしたEau de Parisは、再公営化をめざす自治体のあらたな「フレンチモデル」として、水道事業の根源的な役割を示唆しています。
将来にわたる水道事業の普遍的アクセスを念頭に、社会的弱者にも支払い可能な水道料金設定を優先し、水を取り巻く環境を守ることで、質の高い事業運営が可能だという公営水道の可能性を追求していると言っても過言ではないでしょう。
いま日本国内では、公共サービスを民営化することが正義かのごとく、売却や委託を声高に主張する風潮が蔓延しています。しかし、一度民間の手に渡ってしまえば、そのサービスが公共であるべきと気が付いたとしても、市民が取り戻すことは至難の業です。
いま、日本の水道事業が公営で運営されているならば、市民の代表が議論する議会において、その経営や方針を決定することが出来ます。日常のみならず災害時といった事態を予測すれば、「生命(いのち)の水」を作り送り届ける社会性や公共性は明白です。
民営化よりもまず先に、考えなければならないことがあるのではないでしょうか。